ブータンの文字1

ゾンカの源とそれに使われる文字

ゾンカの源

 ブータンは昔8世紀前、Monyul (Monの国)として知られ、言葉については外部からMonkha(Monの言葉)と知られました。このことは、チベットの王Songtsen Gampoの伝記から得られています。

 8世紀にGuru Padmasambhavaはブータンとチベットなどヒマラヤ地帯を何度も訪問しました。このときブータンはLhomon (南ヒマラヤのMonpa) と呼ばれ、言語は LhopaikhaまたはLhokpu (南ヒマラヤのMonpa) と呼ばれ、文字はLhoyig (南ヒマラヤの文字)と呼ばれました。このことは17世紀まで続きました。

  シャブドゥン ンガワン・ナムゲルが1616年チベットからブータンにやってきました。彼はゾンを作り、国を統一しました。ブータン国はDrukyul(雷竜の国)と、 人々はDrukpa (Drukpa Kagyueの信者) と呼ばれていました。言語はDzongkha(要塞の言語)と呼ばれました。Lhopaikha は Dzongkha に置きかえられ、 西部の人たち Ngalong によって広く話されました。Lhopaikha は Tibeto-Burman の Bodic 言語から生まれたもので、今でも Samtse 地方の Taba Damdingでは話されています。またこれは絶滅しそうな言語であり、記録にとられつつあります。

 ブータンの生みの親であるシャブドゥン・ンガワン・ナムゲルは首都をティンプーとプナカとし、そこが政治と宗教の中心になっりました。彼はいろいろな言語が使われているなかで、共通語として一つの使われている言語 Dzongkha を採用しました。

ブータンの文字

  ブータンで使われている文字は8世紀に源をもちます。Guru Padmasambhabavaの2度目のブータン訪問の際に仏教を教えました。通訳として彼に随行したDenmang Tsemangは、ブムタンの Kurje において Lhoyig 文字を使って教えを書きました。この手書き書体の文字はブータン独自のもので、新しい文字が ブータンで使われました。これを Joyig またはDrukyigと呼ばれました。

  ブータンでは Joyig とならんでチベットの U-chen 文字も使われました。これはいろいろなチベットのラマと11世紀以来のブータンに来た学者によっ て持ち込まれました。U-chen または Tshug-yig は、古代のチベット人Thonmi Sambhotaによって発展されました。そしてそれらは伝統的にヒマラヤ地帯で木版によりChoke (仏典の文字) の書物に使われました。長い間 U – chen 文字のいろいろなスタイルがチベット回りの広いヒマラヤ地帯、チベット、ブータン、ラダク(インド)、ネパール、モンゴルなどで発展しました。 ブータンでもU-Chen文字は特徴やスタイルは変化し、現在のチベットのU-Chen文字とはだいぶ違ってしまいました。宗教では殆どがU-Chen文 字で書かれましたが、通常は Joyig が使われました。これはずっと使われましたが、U-chen 文字のタイプライターやコンピュータが現れてU- Chen が使われるようになりました。

 ティンプーの国立図書館でシステムが開発されましたが、Joyigではコンピュータ・ソフトウェアで使われないために、U-chen がすべてのタイプの文字に使われるようになりました。

(月原敏博)