プンツォリンで多くの仕事を外国人がしていた
2020年5月6日
仕立てから自動車修理工場まで経営が変わる
ラジェッシュ・ライ|プンツォリン
以前のドライヤン (ブータンのダンスバー) の従業員であるダワ・デマさんとチャンドラ・カラさんは、新しい仕事の初日の後に、泣いたと語った。 市の下水道関連の仕事をしなければならなかったのは、このように困難な仕事であった。
さて、何日も経ってから、彼らは仕事に対する違う見方を持っている。 彼らはもう泣かない。 実際、彼らは自分たちを誇りに思っている。
ドライヤンやクラブなどのエンターテインメント・センターは、コービッド-19の大流行によって、閉鎖された。
家賃を払うのが難しいとわかったダワ・デマさんと彼女の友人たちは、奇妙な仕事に就くことに躊躇はなかった。 彼女らの7人はすべて女性で、トムデ (プンツォリンはトムデと呼ばれる特別行政区の一つ) から、毎月Nu 13,500が支払われる。
3月23日に国境の門が閉鎖された後、プンツォリンのサービス部門は、困った状態になり始めた。
この状況に対応して、プンツォリンの労働局は、さまざまな労働集約的な仕事に、213人のブータン人、主に失業中の若者を雇用した。
ミニドライポート(運送業センター)とFCBL (Food Corporation of Bhutan Ltd.:ブータン食品会社法人) は、商品の積み降ろしに若者を採用している。 約22人の元ドライヤン従業員も、駐車料金の集金に関与している。 いく人かは理髪業になった。
なぜブータン人ではないか?
手頃な労賃、技能、態度が、雇用主が、国境を越えて人々を選ぶ3つの主な理由である。
労働局のある地域統括責任者であるソナム・テンジン氏は、非ブータン人は、より少ない給与で喜んで働くと述べた。
1月から今日まで、70人以上の求職者が地域の雇用事務所に登録している。
最近発行された労働力調査(LFS)報告2019年、によると、失業率は5.3%と都市部の現象より多く、農村部(1.6%)の3倍である。
コービッド-19の後に
一方、コービッド-19・パンデミックの中で、ブータン人が雇用されている展開で、状況が正常に戻った後も、ブータン人が雇用されるかどうかという疑問を引き起こす。
実業家のソナム・ツェワン氏は、ブータン人を雇用することは「資本」が国内に残ることを意味すると述べた。
「これは国に、全体的な経済的利益があることを意味します」
プンツォリンにあるBCCI (Bhutan Chamber of Commerce & Industry:ブータン商工会議所) の地域局長のサンゲィ・ドルジ氏は、人々は、特に現時点でブータン人に雇用機会を与えることの重要性を理解すべきであると述べた。
熟練労働者を必要とする部門
建設部門は、技能と労働力の不足で、かなり昏睡状態になっている。 この部門は150人以上の建設労働者をすぐに必要としている。
労働幹部職員であるケルザン・ツェチ氏は、石工と大工の需要がより多くあったと言った。 「私たちは、手伝いの労働者は得られますが、熟練労働者は得られません」
トムデ(プンツォリン都市自治区)のインフラ部門のエンジニアであるアショク・サンワー氏は、継続できないプロジェクトがいくつかあると語った。
作業所なども苦労している。 最大かつ最も忙しい作業所の1つであるジムドラ・オートモービル(自動車修理所)は、熟練労働者の70%以上が不足している。
得意先の増加により、ジムドラは事前の予約を取り始めた。 同社の総支配人は、顧客は車なしでは不利に陥るので、即時のサービスを要求したと述べた。
「私たちは最善を尽くしています」と彼は言った。
彼は機械作業所で働くことを好むブータン人は多くないと述べた。 ジムドラはVTI(職業訓練学校)の卒業生を採用している。
木製品産業も熟練労働者の不足に直面している。 ほとんどの靴の修理や仕立て屋も閉鎖されている。
国境がいつ開かれるか、ブータン人が働き続けるか、雇用主が国境を越えて安い人手に戻るかは不明である。